
筆者は、教会の伝道者(牧師・説教者)としての仕事に就いてから、およそ二年半になる。語った説教の数が100回を少し越えたところである。
人は何かにおいてプロレベルになるには、一万時間の取り組みが必要だそうだ。説教者は一回の説教に対して、およそ20時間かけるので、10,000時間となると、500回分の準備をする時間となる。今のペースだと、10年後にようやく一人前になる、という事だとも言えるかもしれない。
しかし、ここで気になるのは、自分が『プロレベルだ』と、『一人前だ』と自負してしまう日が来た時、自分は、どんな姿に鍛え上げられているか、である。
聖書と対峙し、格闘し、「神の言葉」を宣言することを続けた結果、自分が、神に愛されていない恐怖、恵みを喜んでいない空しさ、自分が解決できない罪の縛りに絶望して居て欲しくない。あるいは、自分の力に信頼して活動中毒になっているような状態も絶対に嫌だ。むしろ、神の御前に弱い存在で居て欲しいと思う。それは怖いことかもしれないけれど、神が助けて下さるなら、きっとそうして下さるに違いない。