クリスチャンは、自分の力で信仰を成長させることによって神に喜ばれると信じ、聖書に従おうと努力します。ですが、人が自分で自分を成長させようとする心は、神がお定めになった、神へと至る信仰の道の「出発点」ではありません。スタート地点が間違っているままでは、聖書の道順に従って努力すれば努力するほど、その人の信仰は危険な道に迷い込み、疲弊し、傷つき、やがて滅びてしまいます。
父なる神は、人がご自身へと向かう信仰の歩みの原点、すなわち、すべての成長のスタート地点を、私たちの目の前に示しておられます:キリストの十字架です。キリストを信じる人は、自分もキリストと一緒に死者とされたことを信じ、そして、主イエスと共に復活させられたことをも信じて、自分の力に頼ることを憎み、むしろ、聖霊を通して自分に働く神様の新しい創造の力のすばらしさを唯一の望みとして、キリストを信じて、一歩ずつ歩みます。これ以外の、人が計画するあらゆる「信仰の成長」の道は、真の神ではない、別の何かへの道です。