あるイベントとは、クリスマスのライブコンサートの事。クリスチャンのバンドによるライブであり、教会が主催しているイベントである。私は、チラシ配りをしながら、チラシを受け取ってもらえなかったり、無視されたりすることにが、「拒絶されている」と感じて、心をへし折られる気がした。
そこで自分を鼓舞するために色々と考え出したのだ。「このチラシ配りは神への奉仕なのだから誠実にやらねば!」とか、「相手はジャガイモだと思ってやれば、拒絶されても大丈夫だ!」とか。・・・全く効果なしであった。
自分が辛いと思う作業を、「これは神への奉仕だから」という理由で続けて行こうとうすると、何と、その作業はさらに辛いものとなり、また、自分の能力の無さばかりが思い起こされ、もうやめたくなったのである。もちろん、相手をジャガイモだと思うなら、そこに善い心が宿るはずもない。
そんな私の苦しみに解決を与えたのが、チラシを配るその相手を愛するという事だったのである。これは不思議と、愛そうと思ってそうしたのではなく、気が付かないうちに、そう思っていたのである。「あのおっちゃん好きだ」 「あの若者も好きだ」 「あの人に仕えよう」 「お仕事お疲れ様!」 そんな 相手へのポジティブな気持ちが自分を元気づけることがあるんだなと、何か新しい発見をしたようで、面白いと思った。
主イエスは、一体どんな思いで私達を見つめておられるのだろうか。きっと、深~い愛で、見つめていて下さるに違いない。だから、主イエスは、私達の心に御言葉の種を撒くことをおやめにならないのだ。感謝である。