すなわち、「教会」とは、神の御心、神の召命、神の恵み、神の御力によって、人が聖霊すなわち神ご自身との交わりに入れられるという、徹頭徹尾、キリストにあって成された神の御業がお創りになった共同体であると、すべてに先立って宣言されている訳です。伝道者は、この一文に、アーメンと頷きます。
真の教会とは、神の御心と御力による御業がこの世界に生み出した、聖霊の共同体なのです。そして、その教会の一員である個々のクリスチャンも、同じように、神の御心と御力と御業によって新しく生まれた、聖霊を宿した器なのです。自分という存在も、教会という集まりも、キリストにあって働いた神の力によって生きるのです。言い換えると、一人ひとりを、そして教会を、神がキリストにあって生きてくださっておられるのです。この神が、力強く証しされ、「ここに神がおられる」と、人が神と出会うことができる場所が、教会なのです。
しかし、教会の中で語られることが、人の精神論、自己改善努力、行事の運営、社会正義、政治など、人間の関心事の事ばかりになってしまうときがあります。そんな時、教会は、いのちの霊性を失っているのかも知れません。