日本においても同様に考えられ、人は幼少のころから学校で、努力と勤勉が幸せへの道だと教え込まれる。この概念は、現代社会の人々の心に深く根を下ろしているため、クリスチャンも同様に、神の御前で努力し勤勉であることが、信仰の道として正しいと考えていることが多い。
しかし、主イエスは、人が自分の努力や勤勉さによって神の御前に立たなければならないというような絶大な責任を、人に負わせるようなことはなさらなかった。むしろ、主は、ご自身の十字架と復活を、恵みによって信じる人に無償で与えてくださった。
人が神のために生きるのではなく、神が人の為に生きてくださることによって、切り開かれ、歩まれ、完成され、その結果人が豊かに祝福される幸いの道を、神は人に与えてくださった。キリスト者は、神が私たちのために思い描く、この「ドリーム」、神の夢の中に、キリストを信じる信仰によって入ったのである。すなわち、人間が努力して神の前に成功しようとするのは、人の夢であって、神の夢ではないのである。