教会が、自分たちが無償で受けたのだから、どんな人にでも、無償で与え続けることができる祝福とは何でしょうか。使徒パウロはこう宣言します:「人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされる」(ローマ3:23-24)。教会が天の神から受けて世界へと与える祝福とは、主イエス・キリストの十字架と復活の御業と、そこに注がれる神の恵みと愛です。
この十字架の富は、たとえ教会が会員や組織や土地や建物を失って無一文になっても、まったく価値を失わない、いや、むしろ人間の無力の中にこそ本領を発揮する、尽きることのない、偉大な神の力です。十字架に信頼する教会は、物的には衰えても霊的には燃えています。逆に、キリストの十字架の力に全面的により頼む信仰を失う時、教会は致命傷を負い、息絶えてしまうのです。