主イエスが、ヨハネ7:6で「わたしの時は…」と仰せられるとき、それは、「わたしの”カイロス”」と書かれています。主イエスの「時:カイロス」とは、主イエスのすべての御行動のために父なる神がお定めになった、ふさわしい「時期・機会」という意味です。同様に、「あなたがた(人間たち)の時:カイロス」とは、人間たちが自分で考えて定めた、色々なことをするためにふさわしい時や場合のことです。
そして、主イエスは、ご自身の「時」と、人間たちの「時」が、まったく違うと仰せられ、ご自身は常に神が定めた「時」にお従いになり、人間たちの「時」に従って行動なさることは決してなかったのです。人間は、神がなさる御業の「時」を理解して見極めることはできません。私たちは、自分たちの「時」の中で悩み、苦しみ、うめきます。しかし、神の恵みの「時」が、キリストにあって、聖霊を通して、今、ここに訪れていることを私たちは信じ、喜びを与えられて、神を讃美するのです。