…教会はどうだろう。
「神様のために」と、聖書に従おうと頑張った末に人は何を得るだろう。神との幸せ?それとも、神との関係性の破綻?…使徒パウロは後者であった。彼は神の律法について、「いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、分かった」と書いている(ローマ7:10)。パウロは、聖書に全力で従おうとすることで、自分は聖書に従う心など全くないということを、聖書から明らかにされたのである。しかしパウロは、内に住むキリストが、聖霊の働きによって、私たちが神に従う力となって居てくださると信じた。そこにパウロの明日があった。人は、神に従おうとすることを諦め死者となるとき、はじめて、神に従ういのちの可能性が目の前に開くのである。