しかし、主イエスは、そんな私のために、私の「居場所」になってくださった。私は、主イエスの十字架と復活の出来事に包まれ、私が何もしなくても、あるいは、何をしていても、神の御前に安らかでいる心を与えていただいた。神の恵みと慈しみの中で十分に憩うとき、初めて見えてくる自分がある。自分を棄てた自分。神の御前に正しくない罪悪感も、神の御前に正しくあろうとする努力も棄て、ただ、神の力によってキリストと同じ姿に変えていただく恵みを受けた、新しい創造としての、自分である。(IIコリ3:18)。
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