人々は、主イエスは病気を癒すことが出来る方だと信じて、肉体の病の癒しを求めて、やってきました。彼らは、とにかく、主イエスのもとに行けば何とかなると信じ、自分たちのために、自分の救いを思い描いて、やってきたのです。彼らの信仰は利己的であったかもしれません。しかし、主イエスは、彼らのその信仰をご覧になり、彼らが期待していた以上の祝福を、いえ、人が心で知ることはおろか、想像することさえできない、人間の「罪」という、真の病を癒してくださいました。
主イエスのみもとには、いつも、罪の赦しがあります。私たちが「赦してください」と申し上げる罪はもちろん、私たちが自覚すらしていない罪も、すべて、主イエスにあっては、赦されています。主イエスと共にいるとき、私たちは、人間の予想や想定をはるかに超えた神様のいつくしみに覆われます。この、心優しいキリストとお出会いする出来事が、礼拝です。礼拝とは、私たちが行うものではなく、神が、私たちをキリストの中へと移してくださる、神の恵みの御業なのです。