プロ野球のドラフト・シーズンの頃、ある新人投手のドキュメント番組を見た。その選手は、自分の才能を信じあきらめないようにと、励まし寄り添い続けてくれた、今は亡き一人のスカウトを恩人として尊敬していた。そして彼はその恩人について、こう語った。『神様というのは言い過ぎだけど、お父さんかな。』 この言葉の背後には、深い親しみと同時に、『目に見える人を神とは呼べない』という潜在意識あると思う。私たちは目に見える現実の中には『神はいない』と思っている。だから、キリスト者が神について語るとき、『お父さんは言い過ぎだけど、神様』と、どこか神を遠くの存在として考えているのではなかろうか。キリスト者が祈りの中で、本当に心から『父なる神よ』と口にするとき、それは『神は今、私の現実にあって、私に寄り添っていてくださる』 という信仰の告白なのである。
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