追記:
上に、「自分のその力のゆえに、混乱をきたして真理(神)を見失います。」と書いていますが、これは説明すると、瓶の中に入っているのは毒ではない(善と悪の木から取って食べても死なない)という偽りが心の中に入った瞬間、瓶の内容物を飲むか飲まないかの判断が、「飲んでは駄目だ」と言った者(すなわち神)の言葉(の中に内在している愛)を信じ続けるという信仰では無く、「瓶の中に入っているのは毒か、毒では無いか」、ということを判断する知性や知識、そしてその知的な判断に従って正しく行動するという自制心あるいは勇気といった、人間が自分の外部にある対象に対して何をどう考え、どう行動するのかという、人間の側の問題になってしまうのです。
その瞬間、人間は、神に対する自分自身の立場を見失うのです。すなわち、自分が神の子であるという神との愛の関係性の中で神を求めることを止めてしまうのです。そして、むしろ自分が神の命令を守るのか・守らないのか、守らなかったらどうなるのか、という行いを通して神を追求する律法主義に落ち込んでしまうのです。そしてその律法を守るという努力の中で様々な精神活動が成されてゆく中で、神の絶対的・宇宙的な愛を見失うという意味で、人は自分自身の存在の意味や、神との関係性について、全く混乱してしまうのです。
蛇は、人間の心理を知り尽くして、その精神を根底から一撃で腐敗させるような破壊力を持った一言を人類に投げかけたのです。・・・「あなたは死にません」と。
・・・このことを思う時、神が御子を通して人類に啓示した救いが、「あなたは、キリストと共に死ななければ救いは無い」という、蛇とは全く逆の言葉を語っていることは、どこか関係があるような気がします。