アダムが、「善と悪の知識」という自力を欲する罪を抱え込んだ時、神が彼に最初にお語りになったのは、そこにどんな状況があったのか、あるいは、誰が第三者として罪を誘発したのかという、外的な原因追及ではなく、「あなたは、どこにいるのか」(創世記3:9)という、アダム自身の所在を問う言葉であった。しかし、アダムは恐怖のあまり、自分の行いの正否を問う神の言葉に耐えられず、妻エバに責任転嫁し、問題はさらに深刻化していった。
教会は、なぜ伝道が困難なのかと問い、その原因の所在を自分たちの「外」に求める。この責任転嫁によって、結果として、問題が更に深刻化する。教会は伝道が難しいと感じるとき、自分たちの信仰の所在そのものが神から問われているのであり、その神の問いに、先ず、自分たちが真摯に答えることから始めることが必要なのではないか。