①礼拝を土曜にする
②別の教団の礼拝に行く
③礼拝を家庭集会にする
④組織としての教会を解散する。
いかがでしょうか。
ここで問いたいのは、「礼拝を日曜日に、この場所、この組織、この形式で、行わなければならない」と、思ってはいませんか?ということです。もしそうなら礼拝の正体は、人の責任感や義務感や伝統なのです。聖霊によって集められた礼拝者の群れは、時間も、組織も、設備も、伝統も、人間的なあらゆることを超えて、互いの内に生きておられるキリストを喜びます。その喜びの中に、神が、私たちを祝福なさるために、礼拝を生み出して下さいます。
その神を期待する集まりが、礼拝となるのです。
<週報からの引用終わり>