信仰の創始者であり完成者であられる主イエスは、人の「いのち」について、こう仰せられました。「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)すなわち、人が神の御前に成長するためには、まず、自分が自分の力で自分であり続けようとする自分を放棄しなければならないのです。言い換えると、真の信仰の成長は、人の努力や、正しい動機や、自主性の延長線上には存在しないものなのです。また、主イエスは仰せられました。「神の国は次のようなものである。人が地に種を蒔き、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(マルコ4:26-27)すなわち、神の御前にあっては、人の信仰が成長して実を結ぶかどうかは、その人が自覚さえしないような、神の神秘的な新しい創造の働きによるのです。
真の信仰とは、神が、恵みによって罪びとに与えてくださる新しい、自分には存在しなかった心です。神が与える真の信仰によって、人は、神が恵みに満ち溢れたお方であることを信じ、神の愛の中で平安を与えられます。完全な信仰は、いつも、ここに、神と共に、恵みのうちに、主イエス・キリストの名によって、私たちに「在る」のです。