<週報からの引用おわり>

ルカ7:9の主イエスの言葉は、今までは、イエス様が百人隊長の信仰のすばらしさを称賛しつつ、イスラエルの群衆に対しては、「それにくらべてお前たちは何だ!」と怒っておられることとしてしか理解していなかった。でも、上のたとえを考えながらだと、以前の理解が、実は、なんというか、カッコつけと言うか、傲慢と言うか、どこか現実離れした絵に描いた餅のようであったことを思う。
主イエスが私たちに百人隊長のような素晴らしい信仰を持て!と求めておられるとしたら、それは、まるで、私たちにオリンピック選手のように素晴らしい演技ができるようになれ!と求めておられるようなものだ。
そう考えるのは、実は、エリート主義というか、どこか自分自身の人間としての現実を直視していない、夢を見ている解釈のように思える。
信仰者として素晴らしい人間になりたい! という、どこか、自分中心な、ナルシストの考え・・・。

オリンピック選手になって、自分が信仰の勇者として脚光を浴びなくたっていい。むしろ、本当に信仰とは何かということを知っておられ、人に教えることがお出来になる主イエスの元にあって、教えられ続けていたい。それで良いじゃないかと思う。
ルカ7:9を、自分の信仰の理想として模倣しようとするのは結構だが、その模倣が一体だれを見ての模倣なのか。それは本人がしっかりと吟味しなくてはならない。自分が優れたものとなりたいという自分の素晴らしい姿をイメージした願望なのか、それとも、主イエスこそ優れたものだということを見続けたいと願う、主イエスを思う模倣なのか。