<週報からの引用終わり>
教会が一つになる方法は、一つである。それは、すべてのキリスト者が、主イエスの十字架の前にあって、主イエスご自身のようになりたいと心から願うことである。それは、人間的な一切の正しさ、強さ、主張、すべてが放棄されることに他ならない。
聖書を理性的に読んでその唯一の意味を正確に導き出し、それを守ろうとする事は、教会を排他と分裂へと導く。なぜなら、人の理性そのものが、すでに神の御前にあってねじ曲がった状態にあるからである。その問題に気づかず、依然として聖書的であろうとすると、結局、自分の正しさに固執して終わる。
自分の一切の正しさを、すべて、放棄する事。そして、唯一の正しいお方として主イエスをあがめ、聖霊の働きにゆだねること。それ以外に教会が本当の意味で一つとなることはできない。
なぜ、教会は一つになれないか。それは聖書を理解していないからである。それは、自分を殺すことができないエゴに頼って聖書を読んでいるからである。しかし、エゴを殺すことは、人間が最も恐怖する事である。
教会がなぜ成長しないか、なぜ統一されないか、なぜ愛し合う交わりが生じないのか。その問いは、人間的な手法や、歴史的な考察や、改善の努力によって解決される問題ではない。自分に死ぬことができないエゴに支配された人間の根源的な心の問題である。