大みかキリストの教会 OMIKA CHURCH OF CHRIST
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伝道者のひとりごと

7/27/2019

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孔子曰く、「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」。

「論語」に納められたこの格言は、学びの三段階を表すという:学びとは、知識の獲得の段階(知る)に始まり、自ら学ぶ意志が働く段階(好む)を経て、「学ばずにはいられない」という積極的な感情が働く(楽しむ)という段階へと至る。この「楽しむ」ことが、何かをやり遂げる原動力になる、と解釈できるという。(引用元)

もし、「信仰の段階」というものがあるとすれば、それは、神を知識として知る段階に始まり、神に従おうとする意思が働く段階を経て、そして「神を喜ばずにはいられない」という積極的な神へ向かう心へと人が導かれる過程ではないだろうか。信仰の形式的な正しさ以上に根本的に大切なのは、「神は私にとって喜ばしいお方か?」という問いであろう。神を信じて従おうとしているのに、どういう訳か、神が喜ばしくなく、むしろ苦々しい。もしそういうことがあるならば、その信仰が終着点では決してないことを覚えて欲しい。神は、主イエスの十字架と復活の力を聖霊を通して私たちに与え、ご自身の力を原動力として私たちを神の恵みと慈しみの中へと、必ず、招き入れていてくださるからである。
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伝道者のひとりごと

7/20/2019

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「バプテスマは救いに必要か?」と題された、とある英語の著書は、水によるバプテスマ無しには人は救われないと主張する。そして、この本を、「著者の完璧な論理…は、必ずや失われた魂へと届き、バプテスマの真理について教えるだろう」と絶賛する人もいる。出展(英語のみ)

…しかしそれでは、キリストと共に十字架につき、「あなたは、今日、わたしと共に、パラダイスにいる」という主イエスの言葉によって救われたあの罪人はどうなのか。この問いに対して本書の著者は18ページに渡って議論した末、「その罪人の話は…私たちの状況とは全く関係ない」と結論する。彼はキリストの業による救いの原理を退けてしまった。神の恵みに100%頼って人が救われるという道が彼のために切り開かれた栄光の瞬間を、自分とは関係ないと言って捨ててしまった。なんということか。

バプテスマが救いに絶対必要だと主張するためには、必然的に、十字架の言葉を退けなければならなくなることを、この本の著者は論理的に証明しているとさえ言えよう。自分の行いで神に承認されようとする人の心は、十字架を退けてしまっている。その人の救いは、どこにあるのだろうか…。今、ここに、十字架の中に現れた神の恵みと愛の中に救いがある。
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伝道者のひとりごと

7/13/2019

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私は20年前、自分を高めようと、アメリカに留学した。自分を信じて必死に努力し、二年後学位を取得した。しかし、自分に目を向け、自分を高めようと全力疾走した末に得たのは喜びのない孤独と虚しさだった。…愕然とした。しかし、ちょうどその頃、教会が愛おしい存在になっていた。自分のキャリアを優先して世界を飛び回ろうとする自分と、今ここで愛している小さな教会と一緒に居たいと思う自分が対立し、葛藤した。しかし、今、私は主イエスの教会を愛して、ここにいる。
 
自分の意志や思いが、神の意志や思いと反することがある。自分を向上させる努力が、神がお望みになる良い道から外れる原因となることがある。20年前、私は、そのように、「神の思いは、私の思いとは違う」と考えることを知らなかった。しかし、2019年の今日、私は、自分の心の思いは神に反抗することしかできないし、私が自分で自分を向上させることなどは、神はまったく求めておられないと信じている。むしろ、「キリストが、私を、私に代わって生きてくださる」ことを、私は望む。ただキリストと一緒に居たいのだ。キリストがすべてである。その信仰は聖霊の賜物である。神に感謝するほか無い。
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伝道者のひとりごと

7/6/2019

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元号が「平成」から「令和」に変わって2ヵ月になる。ある小説家は平成時代の若者たちの心理をこう考察する:“他者や社会から『お前は男だからこうだ、女だからこうだ』と言われるつらさは、焼き印を押されるような、外から火傷を負わされるような、誰が見ても傷の在り処がわかる”痛みだが、“自分を誰かと比べ続ける矛盾、自分で自分の意義や価値をジャッジし続ける行為は、内側から腐っていくような”痛みだと。

出展:https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_07.html

私はこれを読んで律法主義の悲惨を思った。

パリサイ人は自分の正しい行いによって他者に対しては「お前は罪びとだ」と裁き、その人の心に火傷を負わせて烙印を押すような無慈悲なことをした。その背後で、彼らは、神の御前に正しい人など一人も居るはずがないのに、自分で自分の神の御前にあっての正しさをジャッジし続ける矛盾の中で、内側から腐っていたのにそれに気付けない悲惨な状態にあった。

神は、主イエス・キリストを通して、この腐敗から私たちを救ってくださった。十字架によって私たちを滅ぼし、復活の力と聖霊の内住によって全く新しい存在として創造してくださった。神のこの御業によって、私たちは本当の自尊心を確信し、心安らかにされるのである。
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    教会のフルタイム 伝道者。

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