大みかキリストの教会 OMIKA CHURCH OF CHRIST
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伝道者ノート; 「生きる」  4回シリーズ(第2回)

8/30/2020

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「生きる」というテーマは、神の御前に、キリストの十字架の足元で黙想されなければ、キリスト者にとっては、何の意味もありません。十字架の足元では無い、どこか別の場所で「生」を問うことは、根源的に「“私が”どう生きるのか?」という問いに終始します。そこには無数の問題があり、無数の解決の可能性があり、逆に無数の失敗への不安があり、それらが掛け合わされて、途方もない混乱と、無限の暗闇が作り出され、神不在の混沌の中での苦悩だけが続きます。つまり、人は、“自分が”どう生きるのかという問いかけによって、生きるということの意味を見失ってしまうのです。
 
しかし、その闇の中にこそ、キリストの十字架が突入し、神の光が訪れます。神が、私をキリストと結び合わせ、新しく生まれさせ、神の御前に幼子としてくださいます。「生」の意味が変わります。もはや私が生きているのではなく、「“キリストが”私を生きてくださる」と、私の心は産声を上げ始めます(ガラテヤ2:20)。生きる主体が私から神へと移ります。霊の呼吸が始まります。私が生きることとは、「神が神で在ってくださることだ」という、唯一無二の神の出来事となります。
 
たとえ無数の問題に囲まれても、キリストが生きてくださるという唯一の解決が、人間のあらゆる不満や不正義を貫いて、私たちの前に突き出されます。キリストの燃えるような愛の誓いが私たちを貫き、内に住み、心の中から不安を締め出して行きます。それが生きるということなのではないでしょうか。

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伝道者ノート; 「生きる」  4回シリーズ(第1回)

8/23/2020

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ちょうど十五年前、私は恩師に誘われて、アメリカのワシントンDCで開かれた全米聖書学会(SBL: Society of Biblical Literature)の年次大会に初めて出席しました。仕事を退職して、小さなキリスト教大学で聖書を学び始めた頃でした。この「聖書学会」で、私が最も驚いたことは、ギリシャ語やヘブル語に通じ、聖書のみならず他の古代文献にも精通している学者たちの多くが、キリストはおろか、神をさえ信じていないということでした。学者達にとって聖書はあくまで研究対象であり、学会の場で信仰について云々することなどは、まったく場違いだとされていたのです。

聖書のみことばが「生きる」力となるという出来事は、学問ではなく、私たちの心の態度の問題です。例えば、「私から離れるな」という言葉が、母親から子へと語られたとします。その言葉の意味は、聞き手の立場によってまったく変わります。母親の腕の中に抱かれている幼子にとっては、「離れるな」とは、「お母さんはあなたを決して離しませんよ」という、親から自分に語られる、親が自分に誓う、愛の宣言です。しかし、大人になったその子にとっては、同じ母親の言葉は、自分の自立を妨げようとする不当な要求として聞こえてしまうでしょう。

無力な幼子として聖書の言葉に聴けば、聖書は神の不動の愛の誓いです。逆に、私たちが神の前に自立した大人としての立場をとるならば、聖書は自分の行動を制約する命令となってしまい、その霊的損失は致命的です。聖書の文字が敵意として迫るからです。(IIコリ3:6)
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伝道者ノート

8/15/2020

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最近、「あまくない砂糖の話」という映画(→リンク)を観た。ジュースを1缶飲むと、すでにスプーン10杯(40g)もの砂糖を消費しており、WHOが推奨する一日当たりの砂糖の摂取量(25g)の倍近くになる。この映画によると、スーパーに陳列されている食品の80%には砂糖が入っていて、現代人は知らないうちに大量の砂糖を摂取してしまっているそうだ。

砂糖の過剰摂取は、体調を悪くし、心を怒りっぽくするという。それでも砂糖を摂り続けると、その不健康で異常な状態が「普通」になり、健康な食事をとり、健全な精神状態でいるときの感覚を忘れてしまうという。つまり、現代人は、意図せず砂糖中毒にされているという訳である。…しかし、人には、もう一つの長年の中毒がある。その名は、「自分中毒」。

人間は、自分の力で努力して、自分を向上させ、自分が何かを成し遂げることが素晴らしいと思っているが、それは実は、悪魔が人間の心に吹き込み続ける、「自分の力で生きる喜び」という甘い砂糖のような誘惑を、毎日、大量に取り込み続けた結果の、中毒症状だ。私たちは、神に愛され、神に満たされて生きるだけの、人が人である真の喜びを忘れてしまっている。主イエスを信じて生きることとは、聖霊の働きによって与えられる一つ一つの悔い改めの中に、神に愛される喜びと満足感と平安を、一つ一つ思い出してゆく、いわば、デトックス(毒抜き)だと言えるのかもしれない。
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伝道者ノート

8/8/2020

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クリスチャンを「追い詰める」痛烈な言葉の一つは、「あなたは、キリストのように生きていますか?」という問いである。さらに手厳しい言葉は、「そんなことをする(しない)あなたは、キリストのようではない!」という批判である。人が人に対して、「あなたはクリスチャンだから、キリストのように、なれ・行え」と要求するのは無茶である。なぜなら、人は、自分の力では、キリストのようになど、まったく、絶望的に、なれないからである。
 
人が、キリスト、すなわち、神の御子と同じ姿になるという出来事は、神から発して人へと至る、天から与えられる恵みである。御子ご自身でさえ、先ず十字架で無力な姿となり、人としては死んでしまわれた。しかし、そこに御父が、天から永遠のいのちを「与えて」くださることで、主イエスは、復活のキリストとなられた。その死と復活の道をたどることが、私たちがキリストに似たものとされるということである。

クリスチャンにとって、最も「ほっ」とさせられる言葉の一つは、「あなたは、自分では、
キリストのようには、まったく、絶望的に、なれません」という裁きの言葉である。しかし、その裁きを吹き飛ばして、喜ばしい福音として教会の中に響き渡る神のみことばは、「だからこそ、神さまが、私たちを、キリストのように造り変えてくださいます!」という、聖霊によって働く神の愛の力を、我が内に信じさせてくださる、神の業の宣言である。ハレルヤ。私はキリストと共に葬られ、今や、キリストが私を生きてくださる!
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伝道者ノート

8/1/2020

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大学生の頃、私は空手部で4年間頑張った。ある年の夏合宿の最終日の打ち上げ会に、何十年も前に卒業した大先輩の方々(OB)が来ていて、「部活は、どうだい?」という話になった。私は、「僕は(空手をやって)変わったと思います」と答えた。するとOBはこう聞き返してきた。「どう変わったの?」と。…自分はその問いに答えられず沈黙してしまった。

つらい訓練や努力を通して自分が何を得て、どう変わったのかを説明できなかったのはなぜだろう。理由の一つは、たぶん、当時、私は空手を好きでやっていたのではなかったからである。心の楽しさと喜びに裏打ちされた積極性は無く、誰かに認めてもらいたい一心で、義務的に練習を繰り返していたのだと思う。別の言い方をすれば不安から逃げるために、恐怖心に駆られ、取り組んでいたからである。

そんなことを思い出しながら、今、ある想像を膨らませている。神が私に仰せになる:「信仰は、どうだい?」と。私はこう答える:「私は(信仰を持って)変わったと思います」と。「どう変わったの?」と御父が聞き返してくださる。自分はその問いに、しばらく考え、しかし、明確に、喜びをもって、こう答えることができることを神に感謝する。「私は、あなたの御子を通して、あなたに愛される喜びを知るようになりました。これからも変わり続けます!」と。そんな私を、御父は心優しく懐に抱き、言ってくださる:「その通りだよ」と。
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    教会のフルタイム 伝道者。

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