教会では「聖書解釈」を行う。神は、人にご自身を顕わすために聖書をお与えになった。しかし、人は、聖書を神の意図に沿って読み、理解できるだろうか。人が、自分の意図で聖書を解釈するなら、そこには、神と人との意思疎通は成り立たない。神が思い描く、聖書を読むルールとは何だろう。
神の御子・キリストは、聖書全体がご自身の十字架と復活によって成就したと仰せられる。キリストを信じる教会は、聖書を読むとき、そこに、主イエスの十字架を通して顕わされた神の愛と恵みを見出すことを、神に期待されているのではないだろうか。もし私たちが、聖書を、自分が正しく生きるための行動の手引書として読むならば、神の言葉は最初から誤解されているのではないだろうか。