大みかキリストの教会 OMIKA CHURCH OF CHRIST
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バランスを取ること

12/31/2015

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今朝は教会の役員さんのお宅で朝食をごちそうになった。
ナッツとチアシードを混ぜたオートミールである。
これにヨーグルトとか、はちみつとか、抹茶とか、
色々とお好みでトッピングしていただく。
・・・ちょっとアメリカに帰った気分だった。
独身だと一人で食事をすることが多く、
やはり食卓は複数人居たほうが良いと思った。

そこで少し話題に上がったのが「愛」という言葉について。
私自身は
「愛」という言葉を説教で使うとき
「大切にする」という言葉とペアにして語るように心がけている。

「愛」という言葉は、
私たちの現代社会ではいろいろな意味があり、
時には「異性に対する性的な強い情愛」を指すから、
やはり補足しながら使わざるを得ないのである。

しかし、今回は興味深いことを聞いた。

日本語で『愛』と訳すことのできる、
新約聖書の言葉(ギリシャ語)は、
4種類ある。
  1. エロス:本能的な愛。肉体的な愛、主に男女関係の愛、見返りを求める愛。
  2. フィリア:友情愛。友達、同郷、同邦のような連帯感の愛。
  3. ストルゲ:親子愛。親子関係の愛、師弟関係の愛。
  4. アガペー:神様の愛。無条件の愛、見返りを求めない愛。
 引用: http://www.bible-word.org/content/%E6%84%9B/

新約聖書の中では、
2番(フィリア)と4番(アガペー)が最も多く使われている。

いずれにせよ、
今朝興味深いと思った話は、
人間関係(特に夫婦関係)は、
上のすべての「愛」の要素がすべて働くことで
適切なバランスが保たれるということである。


ここで、
私の思考は少し飛躍する。
すなわち私はこう思う:

神様の前にあっての私たちの生き方も、
私たち「人間」を構成するすべての要素が働くことで
バランスが保たれる。


ここで、便宜上、
「人間」を構成する要素としてバランスを取るべき事柄を
一組考える:
  1. 人間は、神に対して過ちを罪を犯す
  2. 人間は、神から罪を許されている。

この表裏一体の人間の実存から、
どちらか一方を排除してしまうと、
バランスが崩れる。
バランスが崩れると人間の心は疲弊し
とんがって、
喜びを感じられなくなる。

キリスト者の信仰生活において、
上の二つの事柄の内、
どちらかを強制排除しようとしたり、
あるいは過度に強調したりすることは避けるべきだ。

もちろん、
「だったら率先して罪を犯そう」ということでは決してない。
罪を離れる必要性を否定しているわけでもない。

ただ、人間は人間である以上、
罪を犯してしまうという現実は、
その存在を否定したり、
即座に排除できると意気込んだり、、
あるいは神の赦しゆえに意識のはるか彼方へ投げ捨てたり、
そういう極端なことはしないほうが良いと
私は思うのである。

罪を犯してしまう自分の人間としての姿。
それにも関わらず、
赦しを与える神の恵み。

赦しを与える神の恵み。
それにも関わらず、
罪を犯してしまう自分自身の姿。

この二つの現実がバランスを取るとき、
そこには一つの循環が生まれる。
その循環が正しい方向に回転するとき、
人間は神の中に安息を見つける。
父なる神の恵みへと捕らえられてゆくからだ。

しかし、
どちらか一方が排除されるとき、
この循環は停滞する。
そこには、

罪の赦しの無い、
  罪悪感の牢獄か、

良心の呵責の無い、
 人間の神に対する傲慢がある。

万事につけ、
自分自身の現実を理解しながら、
バランスを取ることが大事だと思わされた。

それはそうと、
朝食をどうもごちそうさまでした。(^_^)/

今年もあとわずか。
みなさんの来年が、良き年となりますように!
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疲弊の悪循環

12/26/2015

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Picture

車のエンジンも、
フル回転させて負荷をかけ過ぎると壊れる。
オーバーヒートした位なら、
エンジンを止めて冷やせば良いが、
場合によっては
金属の部品がエンジン内部で破損し、
エンジンが物理的に破壊されて
再起不能になることがある。

人間の体と精神は、
機械(Machine)ではないが、
機械的(Mechanical)な面を持っている。
その機械的な面を無視して
無理をすると、
機械的に壊れてしまう。
つまり、機能停止してしまう。

人体はエネルギーを摂取し、
それを消費して筋肉を動かし、
いろいろなボディ・ケミカル(体内の化学物質)が
バランスを取りながら機能している。
このバランスが、
ストレスやその他の要因によって崩れると、
人間は調子が悪くなり、
無理をし過ぎると壊れてしまう。

一般的に言って、
人間には作業ののキャパシティ
(Capacity; キャパ; 許容量)というのがあり
そのキャパを超えると
極端に仕事の効率が落ちる。
効率が落ちるからさらに頑張る必要が出て、
その結果キャパをさらにオーバーしてしまい、
さらに効率が落ちるという悪循環に陥ってゆく。

筆者は、
以前の職場において同様の経験がある。
その時は上司が
「休まないと、クビにする。休め!」と
強制的に数日間休暇を取らされた。
ありがたい上司であった。

しかし、
自分の限界を知って、
その限界を超え過ぎないように自分を
いたわることは必要だ。
時には限界越えの努力をする必要があるが、
その無理な状態を維持してそれが普通になってはいけない。
壊れてしまうから。

それはそうと、
教会という集まりを一つの体とする場合、
教会が無理をし過ぎて
壊れてしまう危険もあるのではないか。
過剰なストレスと休みの無さ、
「教会っぽい」イベントの企画の立て過ぎによる、
内部の物理的な疲労と、
「やらなければならない」という強迫観念による精神的な疲弊。
その疲労と疲弊が普通(ノーマル)になってしまってはいけない。
壊れるから。

負担が悪い訳ではない。
ストレスが無い世界を望んでいるわけではない。
何も伝統を持たない教会を目指しているわけでもない。

しかし、
自分(たち)がやっていることに喜びを感じられなくなったとき、
それは一度立ち止まって休み、
自分の体と心、
そして神様との関係性としての霊的な状態を見て、
自分自身をいたわることをするべき時なのではないかと思う。

ある意味、
教会という集まりの中にあっては、
一人ひとりが立ち止まり、
神の前に「休む」自由を決して奪ってはならない。
その自由が奪われたとき、
それは個々の心に小さなひび割れを起こさせ、
そのひび割れは群れ全体に亀裂となって現れて
しまうのではないか。

いずれにせよ、
教会であれ、会社であれ、個人であれ、
自分自身を含めた「人間」は、
無理を強い続けると心身共に傷つき、
下手をすると壊れてしまう存在。
それを知ったうえで、自分と他者をいたわり、
大切に扱おうとする、
一種の勇気が必要なのではないだろうかと
このクリスマスの季節を終えて、考えている。

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X-MAS について

12/17/2015

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クリスマスは、英語で書くとChristmasとなる。
この言葉を分解すると、
Christ-Mass となる。
すなわち、
キリスト(Christ)を拝する教会の礼拝(Mass)のことである。

しかし、時に、「クリスマス」と書くのが面倒だから、
省略して、”X-mas” と書く場合がある。
”X”は、交差すること、
英語で ”Cross” なので、
CROSS-MASS = クロス‐マス、
クリスマスと語呂合わせ、というわけだ。

この書き方は、
本来の「キリスト」という名前を、
バツ(X)印で省略して言うことになるので、
けしからん! 冒涜だ! と今まで思っていた。

しかし私は、
今あえて、
クリスマスを X-MAS と書きたい。


それは、
主イエスがお生まれにならなければならなかった理由が、
実は十字架での死にあるということを認めるなら、
主イエスの誕生日は、
単なる誕生日ではなく、
すでに十字架での死を見据えた、
主イエスのご決意と、
人類を救うという偉業へのコミットメント、
すなわち
主イエスの「あなたを救うために、私は十字架につくのだ」という
神の御子のご決心の現れそのものだからである。

赤子である主イエスをみるとき、
その背後には、
十字架がすでに立っているのである。
そのように、
生まれた時から、救い主としての十字架での死という
運命を背負って生まれてきた人間は、
イエスただおひとりなのである。
クリスマスは、
この唯一無二の人間の誕生を記念するのである。

その意味では、
クリスマスの真意は、
十字架を焦点にした礼拝なのである。


それゆえに、
クリスマスは、十字架-マス、
CROSS-MASS、
すなわち、
X-MAS と書かれるべきなのである。
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クリスマス・・・か。

12/11/2015

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クリスマス。

考えれば考えるほど、
聖書を学べば学ぶほど、
今日、世界で祝われているクリスマスの姿は
福音と何ら関係のないものだと思わされる。

教会がクリスマスを祝うのは自由だ。
祝いたければ祝えばよい。
祝う事のメリットもあるだろう。

だが、
主イエス・キリストという一人のご人格の尊重はおろか、
主イエスの十字架と、
ご復活に何ら思いを寄せない お祝いは、
それはもう「キリストを祝う」という主題にふさわしい
実質を伴っていない。
空虚で、無意味である。

主イエスは、生まれたのではない。
お生れにならなければならなかったのである。
それは、父なる神が主イエスに与えられた使命があったからだ。

赤子として、人として、生れ、存在し、生き、
人類と喜怒哀楽を共有し、
人に寄り添い、
人として死に、
人としてその霊を父なる神に委ね、
人として父なる神に完全に受け入れられること。

それはすべて、
人の救いを達成するために
必要なことだった。
起こらなければならないことだった。
そのために、
主イエスはお生れにならなければならなかった。
それは、父なる神様の
「何が何でも人を救うのだ」という
熱心と決心の具現化である。

インマヌエル。

世のクリスマス。
それは、
イルミネーション、
プレゼント、
そして、漠然としたグッド・フィーリング。
何一つとして悪いことではない。

しかし、
クリスマスは、良いか悪いかの問題ではない。

その祝いの中に、
生ける神である、
死んで蘇られた主イエス・キリストが
確かに立っていてくださるか。

その意味では、
毎週の日曜の礼拝は、
本質的にクリスマスと同じなのである。
ならば、
特定の日を定めて「クリスマス」と祝うなど、
実は必要のないことなのではなかろうか。
毎日がクリスマスなのだから。
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