「牧師が聖書を学び続ける環境がないことが問題かもしれません。若いうちはいいんです。心も体も充実していて説得力がある。しかし、老化して、そういう説得力を失うときに、人間のことばが問われてくる。本当の意味で、神のことばが生きてくる。でも、聖書を学ぶことをやめた牧師は、結局、経験と権威だけに乗る喚(わめ)く老人になってしまう。」
http://www.kirishin.com/2018/09/20/18103/ より抜粋
これは牧師だけの個人的問題ではなく、教会の組織にも当てはまる課題であろう。教会も、ある時代においては、若い人たちが数多く集まり、立派な設備や盛んな活動を持ち、自分たちの力と実績に乗った説得力を持つことができる。しかし、やがて教会は高齢化によって力を失い、設備の管理や活動の運営が難しくなる時が来る。しかし、そんな時こそ、今まで自分たちが学び続け、内に蓄えてきた神のことばが生きてくる。
教会が、主イエスの十字架と復活の力の御ことばに聞き続け、無から有を呼び出し、死者をよみがえらせる神の新しい創造の力に信頼するキリストの信仰のことばを聞き続けてきたなら、教会は、心に刻まれた神の御ことばの力によって、必ず立ち上がる。神が立ち上がらせてくださる。今が、神の愛の御ことばに聞く時である。