2021年 2月(February)の説教録音
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「神の勝利を見る」
2021年 2月28日 マタイによる福音書 第4章1節 から4節,および 申命記 第8章 1節から5節 舘野真(伝道者) 神の命令を守り、神にふさわしく生き、悪魔に打ち勝つためには、人はどうすれば良いでしょう。ある牧師は、神が自分に与えた才能を100%世のため人のために活用するべきだと教えます。しかし、困ったことに、人類はアダム以来、悪魔の誘惑に陥って、自分を恥じて神を恐怖する存在になってしまいました。そんな私たちは、神も神が与えた才能も、実は嫌悪しており最初から触れたいとも見たいとも思ってはいないのです。 だからこそ、神の御子であられる主イエスが、悪魔の誘惑に勝利し、人が生きる「いのち」の本来のすばらしさを、私たちに啓示して下さったのです。主イエスは、神の御前に生きる者は、「神の口から出る一つひとつのことばによって生きる」と仰せられます。これは、民イスラエルが40年に渡って荒野を流離(さすら)い、小麦を収穫してパンを焼くことなどできなかったときに、神がご自身の恵みと愛の故にマナをお与えになり、それを食べ続けることで民が生き、守られ、保たれた出来事を指しています。 人が自分の力を100%活用することなど、神は求めてはおられません。むしろ、神ご自身が私たちの力の100%となって、私たちを生きて下さることを、神ご自身が私たちのために切望していてくださるのです。人の無力の中に働く神の力が人を生かすのです。キリストの十字架と復活と結ばれることによって人は「いのち」を与えられるのです。 悪魔は、何とかして、この神の恵みと愛による「いのち」から私たちを断ち切ろうと、昔も、今も、世界中の人々を誘惑し続け、人の生涯を苦しみで満たしています。しかし、その誘惑に、主イエスの御ことばが、圧倒的に打ち勝ってくださっておられるのです。 「下がれ、サタン」。主イエスの悪魔に対する御ことばの力が、十字架の力が、私たちの中に聖霊によって宿り、語っています。主イエスの御霊が悪魔の誘惑を退け、私たちを神の恵みと愛によって生きる祝福の生涯へと、今、ここで、招いてくださっているのです。 主よ、感謝いたします。私たちの心を、貴方の愛の御手で、捕らえてください。私たちを離さないでください。アーメン。 ■ |
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「ああ、十字架!」
2021年 2月21日 ローマ信徒への手紙 第6章6節 から11節 舘野真(伝道者) 私たちは、満たされない心の飢え渇きを癒すため、何かに手を伸ばし、それを掴み取って、獲得しようとします。お金や地位や富に心を奪われ、どれくらい豊かな生活をするかによって人の価値を決めてしまいます。そして「安心」という殻を自分で作り上げて、その中に閉じこもります。ですが、その殻が壊されてしまうことを恐れる心が生じ、どこか満たされない心が消えません。 クリスチャンは「自分たちはそんなことはない」と言うかもしれません。ですが、クリスチャンも、神の愛に飢え渇きを感じると、「自分の善行で神に愛されよう」と考え、自分の行いの善悪に心を奪われ、どれくらい聖書的に行動するかによって人の神の御前にあっての価値を決めてしまいます。そして、「正しさ」という殻を自分で作り上げて、その中に閉じこもります。ですが、その殻が壊れないようにと頑張り続けて、逆に神の愛を以前よりも見失い、もっと頑張るようになるという、神の愛から離れてゆく悪循環が生じてしまうのです。律法主義です。 しかし、パウロは喜び踊りながら、私たちに宣言します。私たちの殻を打ち砕く聖霊の御声です。すなわち、私たちは、以前は神の愛を失い、神の敵として存在し、神の御怒りを恐怖しながら、ほとほと弱り果ててしまっていた罪人(つみびと)でした。しかし、主イエス・キリストの血潮、御子の生命によって、私たちは罪を赦され、神と和解させられ、神に愛されて、今、ここに、どんな境遇でも、必ず愛して居てくださる神を喜び誇る神の子どもたちとして、新しく創造されたのです。 キリストの十字架の力が、神の愛に飢え渇いた私たちの心を満たします。十字架によって突入した神の愛が、私たちを恵みの中に立たせます。十字架こそが、教会の慰めであり、励ましであり、今日を生きる力です。神は、ご自身の不動の愛を、キリストの十字架によって、私たちの心に打ち立てて下さったのです。ハレルヤ。 ■ |
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「十字架:教会の生命の所在」
2021年 2月14日 ローマ信徒への手紙 第5章1節 から6節 舘野真(伝道者) 平穏な日常が取り去られると、私たちはその日常を取り戻そうとし、同時に、新しい日常を模索します。その過程で、私たちは自分たちの価値観を問われ、本当に大切なものが一体何であるかを吟味させられます。伝道者の退任に伴って平穏に見えていた教会の日常が取り去られます。そのとても大きな変化の中で、教会は何を求め、何を望み、何を生きる力として、様々な課題と向き合うのでしょう。 パウロは、自分の力ではどうしようもない、脱出が不可能と思える困難、すなわち「艱難(かんなん)」の中にあってさえ、私たちは、生きる力と喜びを失うことは決して無いと言います。彼は「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出 すと(私たちは)知っている」と言います。でもこれは、私たちが諸問題と取り組み、経験を活かして強くなり、知恵を洗練されて立派に振舞えるようになる、というようなことでは、決してありません。むしろ、私たちを取り囲む様々な生き辛さの中で、悩みの大小によらず、そこに、私たちを決してお見捨てにならない神の愛を知るということが、パウロの誇りであり、望みでありました。 私たちは、神の力によってキリストの十字架と復活と結ばれ、新しく生まれた幼子として、神の恵みの中に立たせて頂いた民です。教会は、いかなる時も必ず私たちを愛し続ける神が常に励まして居てくださる、慰めの共同体です。 今、主イエスの十字架の光が私たちの心を照らし、私たちを悔い改めへと導いています。今、キリストの復活の力が私たちを包み、神の恵みと愛を喜び誇りとする新しい生命があふれています。 主よ、困難の中で恐れ惑う弱い私たちを哀れんでください。キリストにあってあなたを誇りとして生きる新しい生命のすばらしさを、その力強さを、その希望を、聖霊を通して私たちの心に溢れさせてください。今、呻きながら生きる私たちに、時空を超えて今も働くキリストの十字架の偉大な力が、はっきりと知られますように。私たちをあなたの愛によって捕らえてください。アーメン。 ■ |
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「神の恵みに、包まれる」
2021年 2月7日 ローマ信徒への手紙 第4章16節 から25節 舘野真(伝道者) 本伝道者による大みか教会での説教奉仕の働きが、残す所、あと五回となりました。最後の説教は三月七日です。伝道者の退任によって、教会は危機を経験します。それは、作業の引継ぎの問題ではなく、むしろ、礼拝や諸集会から御ことばが失われることによる危機です。しかし、この危機は、真の信仰によって必ず乗り越えられます。しかし、真の信仰とは、何でしょうか。皆が同じことを信じているでしょうか。真の信仰による一致の有無が、教会の将来を左右します。 使徒パウロは、真の信仰、すなわち、アブラハムの信仰によってすべての人を神の御前に結束させようとします。パウロが説くこの信仰は、自分の状態については絶望しているアブラハムの全存在を強め、彼を通して全人類への救いの約束を成就させた、神の力です。そうです、信仰とは、神の力なのです。人の無力の中に働く神の力が、真の信仰の本質です。存在しないものを存在するものとして呼び出される神の、新しい創造の力が人に働くとき、そこに信仰が現れ、神の恵みに基づく救いの確かさが証言されるのです。 私たちは、主イエス・キリストの十字架と復活を信じます。その信仰は、私たち一人ひとりを神がキリストにあって愛してくださっておられる(義とされた)ことを私たちに示す、神が与えてくださった証しです。この真の信仰によって、私たちは日常の様々な危機(病、孤独、不安など)の中で、神の愛を心に注がれて慰められ、励まされ、力づけられます。教会も、この真の信仰によって強められ、神の力によって、今ここにある危機を乗り越えます。 神の御前に正しく歩む責任を人に負わせ、自分の力で聖書的で正しい行いに勤しもうとする「信仰」は、真の信仰ではなく、偽の信仰です。その偽りの先にあるのは、神の恵みと愛に満たされる喜びではなく、むしろ、滅びです。主よ、あなたの愛と恵みへと導く真の信仰を、どうか私たちにお与えください。主イエ・スキリストの御名によって。アーメン。 ■ |